【その他】桜神宮
桜神宮は天照大御神をはじめ、日本の神々をお祭りする神宮です。
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| 施設名 | 【その他】桜神宮 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都世田谷区新町3-21-3 |
| 電話番号 | TEL : 03-3429-0869 |
| FAX番号 | FAX : 03-3429-7452 |
| URL | http://www.sakura.jingu.net/ |
| 紹介 | 創建 沿革 明治十五年五月十五日に大中臣家 (*1) の六十五代の後裔で伊勢神宮の(筆頭)祢宜であった芳村正秉が、「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方向に政府方針を変更したことに危機感を抱き、神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるためお祭りだけを行う神社でなく、お祭りもしながら人々に対する布教をもしっかりとできるように勅許を得て、教派神道十三派の一派を立てました。名称は伊勢神宮の禰宜時代に神託によって授かった「神習いの教」としました。以来、当宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮として、また教えの本山として親しまれています。 社殿は明治十六年東京市神田に創建。明治後期には「病気治し」「火伏せ」の神徳があると多数の人が参詣しました。また外務省の紹介により多くの外国人が訪れ、鎮火式(火渡り)や探湯式(熱湯を浴びる)の神事に参加しています。 大正八年に「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託により現在地である世田谷に移転しました。神田界隈の関東大震災による被害は大きなものでしたが、この移転により災害から免れることができました。また、第二次大戦時も無事戦災から免れ、「災難よけ」でも崇敬を受けております。 (*1) 大中臣家は古事記に記されている天孫降臨の際の随神である天児屋根命を祖神とし、神代より宮中祭祀を司る氏族。 ご神体「御鏡」 明治初期に伊勢の神宮祭主久邇宮朝彦親王(当時は賀陽宮)が信任を寄せる芳村正秉に御親ら分霊(*2) され授けたもの。他に、正秉の遍歴を示した掛け軸や、正秉と友人関係にあった歴史的人物(西郷隆盛、大久保利通等)の書を神宝とします。→資料コーナーへ (*2) 御鏡もそのままでは、ただの鏡です。そこにご祭神の分け御霊をお納めして初めてご神体となります。この御鏡は伊勢神宮天照坐皇大神にお鎮り頂いております。 「かみならいの教え」について 大中臣家先祖・アメノコヤネノ命 神代の昔、天照大御神は弟のスサノオノ命の無道を悲しみ、天の岩戸にこもりました。そのため、高天原をはじめ天下が暗闇となってしまいました。困った八百万の神は集い、神事を挙行することになりました。その神事では、アメノコヤネノ命が『天津祝詞の太諄辞事』を唱え、アメノウズメノ命が神憑りして歌い舞い踊りました。そして、気になった天照大御神が岩戸を細目に開けた所を天手力男が外に引っぱり出しました。こうして世界に光が戻りました。この古神道最大の秘言ともいわれる天津祝詞の太諄辞事を唱えたアメノコヤネノ命が大中臣家の先祖です。 そして、垂仁天皇記に「天皇、中臣の連の祖探湯主をして仕えしめよ」とあります。これは伊勢神宮を創始したヤマトヒメノ命に大中臣家の探湯主、つまり審判者(サニワ=憑かりくる神が正か邪か、道理か不道理かを神に対し審判する者)としての役目を仰せつかったということで、これ以降、大中臣家に神事が伝承されることになりました。 65代目にあたります芳村正秉が、この大中臣神道を復興したものが、神ながらの道、つまり「かみならいの教え」です。 魂と魄の死生観 魂とは精神に宿るたましいであり、魄(パク)は肉体に宿るミタマです。人間が死ぬと魂はあの世に行き、魄は一種の残留思念となってこの世に残ると考えます。これを奉り、鎮魂いたします。 さらに直霊(ナオヒ)があり、これは永遠不滅の内在する神にあたります。 |
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